竹田ゑい

▶ 明治45年新田事務所日誌

   4月18日     晴

一、御主人様、及、富田御主人様、外皆々様、寺来り

一、午前、横三ツ蔵町の竹田ゑい様、御来新せらる

一、神三、篠田出張、弐十日の御門跡様用■■■買せ

一、伊藤は二回工事場へ、柴田在店、岡田は大豆■■

  田中午前中出張、午後寺来り、周𠮷在店す

・ゑいさんの住所が「横三ツ蔵」とある

・夫の晨正が明治16年から「横三ツ蔵」に

 住んでいたと思われる資料がある

・ゑいさんが何時から済んだのかは不明

・31番観音は寄進者名は読めないが、住所

 横三ツ蔵と読めるので、寄進者が晨正で

 ある可能性が高まった



▶ 31番観音の寄進者は竹田晨正?

 ・以下の理由から住所の横三ツ蔵しか読めない31番観音の寄進者は竹田晨正である確率が高い

 ・竹田晨正は明治42年と大正3年の紳士録には住所は横三ツ蔵とある

 ・晨正は大正3年の50歳から閑地に身を置くとあるので、明治16年から横三ツ蔵に住んでいると思われる

 ・妻のゑいさんは明治45年時点は横三ツ蔵とあり、明治16年から晨正と一緒と考えられる

 ・観音様建立の明治28年にも横三ツ蔵に住んでいた

明治45年事務所日誌



▶ 三重博の目次情報から

 ・明治26年に「竹田鋹太郎内」、明治30年に「清州の鋹太郎不在で帰る」とあり、清州の竹田家にはいない

  状況が読み取