本堂の東側照明器具

 ・本堂の東と西に1対の照明器具があり、東側が神野新田事務所支配人の篠田五十次郎の寄付・明治37年4月

  等の銘がある(明治37年4月15日 には本堂が完成し遷佛供養会が厳修された

 ・本堂の西側の1対は奥さん(旧姓池田とし)の本家当主と考えられる、22番観音寄進者「池田鋹次郎」と

  考えられます。「とし」さんは明治38年に亡くなられます


▶ 篠田氏が写っているかも

 ・構図から見て中央のシルエットが青の2名のどちらかが篠田と推察する

 ・写真は二回地区の耕地整理ではないか?、そうだとすると明治45年の写真と思われる

 ・上記の写真の撮影時期は不明、日誌は明治45年の元旦

 ・篠田は昭和5年時点の住所は豊橋市新錢町(現在の広小路)であった

 ・圓龍寺本堂の照明器具の寄付から、篠田は明治37年には新田事務所の支配人であったと考えられる

 ・篠田は昭和7年に神野三郎の後任として、神野新田産業組合の第3代組合長になる

 ・岡田は昭和11年に篠田の後任として、神野新田産業組合の第4代組合長になる