・毛利新田の開拓前は梅田川は大きく蛇行して二回新田になる所に食い込み、柳生川と合流していた
・明治33年地図でも梅田川の蛇行の跡があり、土地の低さが何処よりもひどかったはず
・それで明治45年に二回新田が最初の耕地整理が実施された(下右端の地図に斜線で描かれている)
明治22年、尾参地図
明治33年、愛知県独案内
昭和15年、神野金之助重行