神野金十郎(正しくは、金重郎)

 ・神野の長男が金十郎か金平を名乗る、7代金平の父が6代金十郎で最後

 2代神野金之助重孝の幼名が金重郎なので、金十郎と間違ったようだ

 ・金重郎は神野新田工事の年の明治26年生まれ、この時は19歳で大学の夏休み中と思われる


   8月5日       晴

一、神三氏来新せらる

一、伊藤は例の通り、二回、及、3号、五号巡回す

一、柴田氏は社宅掃除なす

一、在店は篠田、柴田(午後)岡田、周𠮷なり

一、本日、深田栄三郎氏来新せらる

一、本日、神野本家■、金十郎様、及、加藤氏

  午後5時頃、暑中御滞在■為御来

  新■■■り


   8月6日       晴

一、篠田、深田両氏新田巡回す

一、伊藤は例の通り、配水に巡回す

一、在店、柴田、岡田、周𠮷、田中は病気休む

一、金十郎様御1名、御滞在中


   8月7日       晴

一、神三氏来新、在店す

一、篠田、深田、二回■■堤防、わく入れヶ所実地検分

  に出張す、伊藤は新田巡回す

一、在店は岡田、柴田、田中、周𠮷なり

一、金十郎様御滞在中


   8月8日       晴

一、篠田は在店す、新田■(朱記あり、削除か?)

  深田、二回堤防工事ヶ所見廻り

一、伊藤は配水に出張

一、在店は柴田、岡田、田中、周𠮷なり

一、金十郎様には午前6時発汽車にて鳳来寺山へ

  行かる


   8月9日       晴

一、神三氏在店す

一、篠田氏、深田氏、在店、及、二回■へ

一、伊藤は巡回に出張■ 

一、在店は柴田、岡田、田中、周𠮷なり

一、金十郎様、東八町御宅に御滞在せらる


   8月12日       晴

一、神三様、在店なり

一、篠田、深田は午前9時より本村役場に■■産米

  改良溝■に出頭す、午後2時頃迄

一、伊藤は新田配水、柴田は午前在店、午後3■掃草調

  田中は葦掃草調べ

一、在店は岡田、周𠮷なり

一、金十郎様、2号沖■■■様■5名にて■■

  ■■■■■■■■■■


   8月13日       晴

一、篠田、下牟呂用水■■■検に出張す

一、深田氏は二十間川堤嵩上工事場所測量に出張す

一、伊藤は配水、柴田在店、田中3号掃草調

  岡田、周𠮷在店す

一、金十郎様外御1名、蒲郡より篠島の福江

  方面一■宿の■■にて御旅行なさす


   8月14日       晴

一、篠田、深田両氏は午前5時頃より豊橋を出発せられ牟呂

  用水を害況視察し為め、一鍬田の(水源)元樋門迄出張

  午後5時半頃帰新す

一、伊藤は配水、柴田、田中除草調、在店、岡田、周𠮷

一、金十郎様、午後10時半頃、篠島より帰新せらる


   8月1日       晴

一、神三来新、2号杭打■、二回堤、3号堤防実地見

  分に出頭、岡田舟頭なす

一、篠田午前在店、午後二十間川堤工事場へ出張

一、深田は2号杭打、及、二十間川工事場へ出張す

一、柴田、本郡産米改良講習会へ出席、午後出張

一、在店は田中、周𠮷なり

一、金十郎様には舞坂へ御■、加藤氏は田原へ

一、富安壽吉氏来新、用水の件に付、篠田氏と打合せ

  午後3時帰宅せらる


 ・初代金之助は大正11年に亡くなり、金重郎が大正12年に2代金之助を継いだようだ

 ・したがって以降は金重郎の名は出てこないはず